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Posted by みら on  

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持ち主の方がわかりました!

Posted by みら on   29  0



2月12日付で、「千人針」の記事を書かせていただきました。(>> 千人針

友人のお父様がビルマ戦線より持ち帰り、その後大事に保管されてきた日本兵の千人針を、祖国のご遺族の方にお返ししたいという友人の意思を受け、ここでもエントリーとしてアップし、たくさんの温かい言葉をいただきました。

本日、調査をお願いしていた「厚生労働省社会・援護局」より封書が届き、この千人針の持ち主が特定できたという朗報をいただきました。
千人針は、ご遺族の方にお返しできそうです。
こちらでも、友人はじめ、一同そろって感激しております。

メールの送受信がなぜかうまくいかなかったようで、今回、封書にて最初の一報を受け取りましたが、紙に書かれた文字がこんなにも重く温かいものだったのだということを実感しました。
メールやネットが一般になっている昨今、個人的な手紙をのぞいて(これも減ってますね...)、封書はDMやビジネス類が中心となってしまっていますが、「書かれた文字」というのは、心に残るものなんですね。すっかり忘れていました。

ご尽力くださった厚生労働省の社会・援護局のみなさま(特にM様)には、言葉で表せないほど感謝しております。改めまして、どうもありがとうございました。

千人針の持ち主の川端様は、歩兵第124連隊にいらしたそうです。
ということは、あの過酷なインパール作戦にも参戦されておられたのでしょうか。
その想像を絶する運命を想い(もちろん、想像さえできないですが...)、今日また改めて焼香し、手を合わせました。
65年という長い歳月が過ぎてしまいましたが、千人針は故郷の長崎にお返しします。
どうぞ安らかにお眠りください。

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千人針を受け取り、まず何をしたらよいのかもわからなかった私に、的確なアドバイスを下さった、「戦争を語り継ごう」「旧日本軍人の遺留品」の西羽潔様、そして、見ず知らずの私に親身にご相談に乗ってくださった「紫蘭の部屋」の紫蘭様、ご自身のブログでも書いてくださったfussyvetさん、「Belgium-Tokyo yaburekabure!」のさちさん、アドバイスと応援をくださったみなさま、コメントくださった、tuguさんchichiさん日本カモシカちゃん、Sophieさん、Zesulanさん、拍手を送ってくださった多くのみなさま、直接お返事を書けなかったのですが、拍手コメントで温かい言葉をくださったI様、そしてもちろん、記事を読んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。

みら
2009年4月7日

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千人針

Posted by みら on   22  0



月曜日、知人J のご主人に呼び止められる。
英兵としてビルマ戦線に送られ、その後生還したJ のお父様の遺品の中から、お父様がビルマから持ち帰った"スカーフ様"の布が見つかった。日の丸があり、日本語らしき文字も読み取れるので、日本兵のものに違いないのだが、自分たちはこれを日本の家族に届けたいと思う。協力してはもらえないだろうか。…とのこと。

「ビルマ戦線、布、日本兵…」と聞いて、思わず、「もしかしてそこに、糸の縫いつけのようなものはなかった?」と問うと、「ある、ある!無数の赤い糸のノットがあった」・・・とJ 夫氏。

「千人針だ…」と、心の中にひどく重い鉛のような感情が沈み込む。

>> 千人針

千人針(せんにんばり)は、第二次世界大戦まで日本でさかんに行われた合力祈願(多数の人の祈願によって目的を達成させる)のひとつ。出征する人、あるいは出征して前線にいる人の武運長久を祈って作られた。 
1メートルほどの白布に、赤い糸で千人の人に一人一針ずつ縫って結び目をつくってもらう。兵士はこれを銃弾よけの護符として腹に巻いたり、帽子に縫いつけたりした。寅年の人は自分の年齢だけ結び目を作る事が出来る。これは虎が「千里を行き、千里を帰る」と言われている事に由来している。
Wikipediaより)



実物を見たことはもちろんないが、祖母や、寅年だった曾祖母から伝え聞いたことはあるし、その悲しみや重みは十分に理解できる。まさかこの異国の地で、「千人針」の話を聞くことになろうとは…。

「私でできることなら、喜んで協力します」と答えた後、「何の手がかりもなかったらどうしょう」と一抹の不安を抱えつつ、しかし彼が実物の千人針を渡してくれたのが、火曜日。

横90センチX縦35センチのレーヨンのような(←定かではありませんが...)布の上には、13X77(=1001個)の青い点があり、その上に赤い糸の結び目が整然と並んでいる。
いまだに鮮明な日の丸を中央に、「武運長久」の文字。
布には血痕のあとのような染みもあり、広げるときには、実際、手が震えてしまった。

そして、果たして「お名前」が記されていました。
千人針の持ち主は、川端松義さんとおっしゃる方のようです。

取り急ぎ、和紙にくるみ、お線香を上げさせていただきました。


今日(水曜日)、友人J に会い、もう少し詳しく話を聞いてみると、J のお父様は、1909年生まれで30代からアジア(日本含む)の各国に英兵として赴き、ビルマでも戦ったのだけれど、最後はマラリアに罹り、しばらく音信が途絶えたあと奇跡の生還。
その際、まだ小さかったJ に、「日本兵が落としたものだ」といって見せてくれたのがこの千人針で、それを大事に保管されていたそうです。
1995年に86歳で亡くなり、その後はJ も、このことは忘れていたのだけれど、先週、両親の形見のブレスレットを探しに実家の倉庫に入ってみたら、偶然「千人針」を見つけ、当時の思い出が蘇ってきたとのこと。自分たちで保管を続けようかと思うも、「遺留品であるのなら、故国に帰りたいに違いない」という思いが強くなり、たまたま日本人であった私に相談に来られたようです。

お父様は戦後、ビルマでの戦いのことを決して語ろうとせず、お母様も戦争の話を嫌って避けていたところがあり、詳細についてはわからないけれど、もしご家族がまだご存命であるなら、ぜひこの千人針をお返ししたい。それが叶わなくとも、せめて日本には帰国させてあげたい。…ということで、私も協力させていただくことになりました。

30万人強が送られ、うち19万人以上が命を落とされたビルマ戦線。
千人針とお名前のみで、しかもこのウェールズの地で、インターネットだけを頼りに、どこまでたどり着けるのかまったく手探り状態ですが、しかし出来る限りのことはさせていただきたいと思っています。
もし途中で行き詰まってしまっても、故国には再び戻してさしあげたい…という念で、しばらく動いてみます。

そしてこれを機に、ビルマ戦線に関する手記や記事も読ませていただきました。「ビルマの竪琴」は若い頃読んだものの、しかし実際体験された方の記事を読めば読むほど、その苦しみが想像を絶するものであったと、改めて衝撃を受けました。
>> ビルマ最前線 白骨街道生死の境 (小田敦己氏)
>> 彷徨ビルマ戦線 (井上朝義氏)
>> インパール作戦 (窪田やよい氏)

いまこの時期に再び歴史に戻り、その重みを再確認することができ、私にこのような機会を与えてくださった、「川端」氏、J のお父上、そしてJ ご夫妻に感謝です。


写真をいくつか添付させていただきます。(拡大画像は、サムネイルをクリックしてください。)
もし何か情報をお持ちの方は、ぜひお知らせください。どんなことでも歓迎です。(メールフォームは左下にあります。)
それから、この記事のリンクはどうぞご自由にお使いください。
http://tempest.blog3.fc2.com/blog-entry-2036.html

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千人針



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*ビルマ戦線での遺留品という、非常に重みのある話題を、このような拙ブログで紹介するのもいかがなものか…としばし悩みましたが、しかし最初の一歩がなければどこにも進めないので、思い切ってアップさせていただきます。
これにより、どなたかのお気持ちを傷つけるようなこともあるかもしれません。前もって深くお詫びいたします。その際は、本当に申し訳ありません。


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追記 <2009年2月14日>

「戦争を語り継ごうML」ご主宰の西羽様が運営されている「旧日本軍人の遺留品」サイトに掲載していただきました。
こちらのブログにもアップしていただきました。
>> 戦争を語り継ごうブログ

85歳ブログ「紫蘭の部屋」の紫蘭様が、記事を書いてくださいました。ありがとうございます。

fussyvetさんが記事を書いてくださいました。ありがとうございます。

厚生労働省の社会・援護局援護企画課外事室に調査をお願いすることになりました。迅速な対応をしていただきました。感謝しております。

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2009年4月7日
持ち主の方がわかりました!
ご協力くださったみなさま、本当にありがとうございました。

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